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大阪高等裁判所 昭和62年(う)192号 判決 1988年3月11日

主文

原判決中被告人甲野太郎、同乙山次郎に関する部分を破棄する。

右被告人両名を、各懲役二年一〇月にそれぞれ処する。

原審における未決勾留日数中各一〇〇日を当該被告人の右各刑に算入する。

この裁判確定の日から各五年間、被告人両名の右各刑の執行をいずれも猶予する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人森岡一郎作成の控訴趣意書、同じく弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意書、及び右弁護人三名連名作成の控訴趣意補充書各記載のとおり(ただし、弁護人らにおいて、弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中事実誤認の主張は、当審第四回公判において、これを撤回)であるから、これらを引用する。

一弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の論旨について

論旨は、原判決が有罪認定の証拠として掲げた被告人両名の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における各供述は、いずれも、警察段階における暴行等強制による任意性のない自白であり、かりに百歩を譲つても、任意性に疑いのある自白であるから、右各供述調書及び各供述に依拠して事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、検討するのに、原審記録によれば、被告人両名及びその弁護人は、原審公判廷において、各公訴事実を全面的に認める陳述をしただけでなく、被告人両名の捜査官に対する各供述調書を含む検察官請求書証のすべての取調べに同意して右各供述調書の任意性を争つておらず、右各書証は、いずれも異議なく取り調べられている事実が明らかであつて、原審記録に徴する限り、被告人両名の捜査官に対する各供述調書の任意性を疑わせる事情は、豪も見当らない。

これに対し、所論は、被告人両名は、本件につき道徳的に深く反省し、被害金の大半の弁償も済ませ、ひたすら恭順の意を表することによつて、執行猶予付きの寛大な判決が下されることを期待し、確信していたところ、予期に反して過酷な実刑判決を受けたことに愕然として控訴に及んだものであり、真実は、警察官から激しい暴行や脅迫を受けた結果犯行を自白したものであるから、取調べの状況につき、控訴審において十分審理を遂げ、証拠能力のない供述調書等を排除されたい旨主張する。

しかし、弁護人らは、任意性の存否に関する事実取調べの終了した当審第四回公判において、控訴趣意中の事実誤認の主張を撤回したものである。そうだとすると自らが排除を求める証拠を除くその余の証拠のみによつても、原判示各事実が肯認されることを自認するものであるといわざるを得ず、従つて、右訴訟手続の法令違反の主張は、弁護人の主張によつても判決に影響を及ぼすことの明らかなものとはいえないことになる筋合いである。

しかしながら、当審における審理の経過にかんがみるときは、被告人らが、取調べの過程において、捜査官からいわれのない暴行、脅迫を受け、精神的・肉体的に著しい苦痛を受けた疑いがあるとすれば、その自白の任意性を調査し、自白の任意性に疑いがあることが判明した場合には、証拠能力を欠くものとしてこれを証拠から排除し、改めて当裁判所として、右排除した証拠を除いても、なお、原判示事実が認定できるか、すなわち判決に影響を及ぼさないことが明らかであるといえるかを検討すべきであると考える。そこで、以下、被告人に対する捜査官の暴行・脅迫の有無、ひいては自白調書の任意性の存否につき、検討を加えることとする

1  被告人甲野の供述調書の任意性について

(1)  被告人甲野が、当審公判廷において、自己が警察官に対し犯行を自白するに至つた経過として述べる事実関係の概要は、次のとおりである。すなわち、

自分は、昭和六一年六月二三日に逮捕されたのち、当初の五日間位は、恐喝の犯意を否認していたが、その間、常時、A主任刑事、B刑事、それに、名前の判らない背の高い体格の良い警察官の三人の取調べを受けた。苦痛を伴う取調べは、最初からあり、例えば、留置場から刑事部屋に入るとき、そのまま入ると、軍隊調に、「甲野、入ります、と言え。」と言われ、声が小さいと、何十回もやり直しをさせられた。座る時も、同様、「甲野、座ります。」と言わされ、足が少し開いていたら、両脇から「足をまつすぐにせんかい。」と言われた。言い分を説明しても、耳元で、「甲野、甲野」と言われ、質問に答えないと、「甲野、甲野」と次第に大声で両側から連呼され、鼓膜が破れそうになつた。また、背もたれのない回転椅子に一五分から三〇分位、腰縄を机の足に巻いたまま正座させられたことも二、三回あつた。六月二七日午前中は、いつもと同じ取調べだつたが、午後の取調べ開始後三〇分位して、乙山担当のC主任とD主任が入つてきて、正面の席に座り、同人らの尋問を受けた。Dは、私が弁解するたびに「嘘ぬかせ。」といつていたが、そのうちに、突然、机を私の方に当ててきて、それを私の方に引つくり返した。私は、腰ひもが椅子に結ばれていたので、避けることができず、Dが座つていた側の机の上端が私の前歯に当たり、前歯が折れた。私が抗議すると、横にいたCに足払いをされ、倒れた瞬間に頭を打ち、靴のまま二、三回腹を蹴られ、また壁に頭をぶつけられたり、髪の毛を引張られたりもした。歯が痛いし、頭がふらふらしていたが、今度は、丸椅子を引くり返して、エックス状のむき出しのスチール脚部の上へ正座させられているところへ、Bほか一名の刑事が、両脇から、「甲野、甲野」と連呼し、Dが、私の頭の上にかぶさつてきて押さえつけるように力を加えてきた。当時、交通事故の鞭打ち症で通院していたため、背中も首も痛く、手足がしびれ泣き出してしまうほどだつた。私が、体がどうなるか判らないと思い「堪忍して下さい。何でも話します。」といつて、協力する素振りを示したら、暴行がやんだ。引き続いて自白調書を取られたが、私が、最終的に言う気になつたのは、Dが、内ポケットから乙山の調書を出して見せ、「乙山は、こうしてうととるんや(白状した、の意)」と言われたからである。しかし、それ以外にも、Cから、「正直に言わんかつたら二宮金次郎にしてしまうぞ。二宮金次郎とは、重たい荷物を背負わせたろというか、なんぼでも余罪をあげたるから。弁護士に言いやがつたら何回でも再逮捕したる。」などと言われた。

以上のとおりである。

(2)  被告人甲野の右供述には、そのようなことが果たして行われ得るのかと、一見疑問に思われる点(たとえば、スチールの丸椅子を引つくり返して、パイプの上に正座させられたという点など)もないではないが、全体として、きわめて詳細、かつ、具体的で、特異な事実関係を内容とするものである上、当時の状況を想起しては、時に鳴咽落涙しながら供述する、同被告人の真しで迫真力ある供述態度等にも照らすと、果たして、従前さしたる前科もない同被告人(同被告人には、昭和四五年二月二〇日言渡しの窃盗罪による執行猶予付き懲役刑の前科があるほかには、同年三月の道路交通法違反罪の罰金前科一犯があるだけである。)において、自己の取調べ状況に関する右のような事実を創作して供述することが可能であるかについて疑問を生じ、また、警察官の言動をことさら針小棒大に述べたものであるとして一蹴し去ることにも、問題が残るといわなければならない。

(3)  ところで、問題の六月二七日午後、被告人甲野の取調べに当たつた警察官D及び同Cの両名は、当審証人として、一部(すなわち、① 同人らが、当時、大阪府警察本部捜査四課所属の刑事として、暴力事件の捜査を担当していたもので、本件については、曽根崎警察署に身柄を拘束中の被告人乙山の取調べを担当していたこと、② 被告人乙山は、逮捕後二日間は、犯意を否認していたが、六月二五日に同被告人が自白したのち、同月二七日午後、大淀警察署に身柄を拘束中であつた被告人甲野の取調べに参加したことがあること、③ その際は、本来被告人甲野の取調べを担当していたE、Bの両刑事が退室したこと、④ D、Cらの取調べ開始後、被告人乙山も自白した旨を告げて説得を続けると、間もなく、それまで犯意を否認していた被告人甲野が全面自白に転じ、供述調書の作成に応じたこと、⑤ 同日午後六時ころ、大淀署からの連絡により被告人甲野の前歯が折損していることを知つたので、D、C、Eの三名で同被告人を奥野歯科医院へ連れていつて、治療を受けさせたこと、⑥ 被告人らの返答がはつきりしないときは、「こら、甲野」などと、多少大きな声を出したことはあること、⑦ 被告人らに対し、入室の際、自分の名前を言つて「入ります。」と言うように注意し、あいさつをするように言つたことなど)被告人甲野の供述を裏付けるかのような供述をしたが、同被告人の訴える肝心の暴行・脅迫の大部分については、「そのようなことはなかつた」とし、一部(たとえば、丸椅子に正座させたこと)については、「記憶がない。」旨供述した。当審証人Aの供述も、おおむねこれと同旨である。

(4) しかし、まず、問題の六月二七日夕刻、被告人が奥野歯科医院において、「上顎左側中切歯」(いわゆる左側の前歯)の破損(ただし、口唇軟組織の損傷はない。)の治療を受け、その後、「歯冠三分の二破損並びにそれによる露髄により抜髄、根管治療、充填等」の治療のため、八月二五日までの間、六回通院していることは、歯科医師奥野逵三作成の診断書を含む当審における事実取調べの結果により明らかであるところ、右診断書の病名の記載等からすると、被告人甲野が、六月二七日に、D刑事らによる取調べの際の暴行により前歯を折つたとする供述は、その限度で客観的な裏付けを有するといわなければならない。

(5) もつとも、検察官提出の六月二七日付司法警察員(A)作成の「被疑者の負傷事故について」と題する書面及び被告人甲野の同日付司法警察員(E)に対する供述調書には、右の歯牙破損は、被告人甲野が自白する際、椅子に座つたまま机に向つて頭を下げたとき、前歯が机の端に当つて生じた旨の記載がある。しかし、被告人甲野は、右の点につき、「歯医者へ連れて行かれる際、Cから、自分で歯を折つたと言うように言われたし、あとから、同じ内容の調書も取られてしまつた。」旨供述しているので、更に検討すると、前示診断書により、被告人甲野の「上顎左側中切歯」の「歯冠約三分の二」の破損が、口唇軟組織の損傷を伴わずに生じていることが認められることからすると、右傷害は、被告人甲野の予期せざる外力が、受傷部位のみに直接作用して生じたものと推定されるところ、右のような同被告人の受傷の部位・程度及びそれから推定されるその生成過程は、被告人の前示供述調書等に記載された状況よりも、むしろ、被告人の当審供述に現われた状況を前提とした方が、理解し易いと考えられる。(人が、頭を深々と下げた拍子に顔面を机に打ちつけることは、もとよりあり得ないことではないが、そのような場合には、歯牙よりも、前額部とか、鼻部を打つことの方が多いと考えられる上、歯牙が机の端に当つた場合でも、中切歯一本だけが、軟組織の損傷を伴うことなしに破損するということは、むしろ稀有のことではないかと考えられるのに対し、目の前の机を突然引つくり返された拍子に右机の角が歯に当つた場合であれば、相手の剣幕に驚いて口を開いた受傷者の中切歯一本に、机の角その他作用面の小さな物体が、偶然に直接作用することは、十分あり得るというべきであろう。)

(6) また、前掲D、Cの両名は、被告人甲野が当日前歯を折つた事実を認めながら、「いつ折つたのかわからない。」旨供述しているが、被告人の前掲司法警察員Eに対する供述調書等によつても、同被告人の受傷は、D、Cらの面前において生じたものとされているのであるから、同人らが、激しい痛みを伴う筈の同被告人の前歯の破損に、全く気付かなかつたという点は、疑問であるといわなければならず、同人らは、同被告人の受傷の原因について、真実を秘匿しているのではないかという疑いが濃いといわざるを得ない。

(7) 以上の諸点のほか、当審における事実取調べの結果により明らかにされた一切の事実関係(たとえば、① Dらによれば、被告人甲野は、逮捕以来頑固に恐喝の犯意を否認し、六月二七日午前中の取調べにおいても否認を通していたというのに、Dらの取調べを受けるようになるや、二〇分もしないうちに自白したというのであり、そのこと自体によつても、Dらが、それ以前とは質的に異なつた取調べ方法をとつたのではないかとの疑いが生ずること、② Dは、前示のとおり、「こら、甲野」などと時に「一寸大きな声を出した」ことを認めているが、当裁判所の求めに応じて、同人が公判廷で出してみせた声は、それまでの証言中の声と比べ、かなり大きく、声を荒くして叱責する口調のように感じられるものであり、密室内の取調べにおいては、更に大きな声を出すこともあり得ると考えられること、③ Dは、取調べ室にマジックミラーがついていたか否かというような、取調べ官として知らない筈はないと思われるような事項についても、「覚えがない」などとあいまいな供述をしていることなど)を前提として、被告人甲野の供述と当審証人D、同C、同Aらの各供述とを対比し、その信用性を検討すると、右警察官三名の供述は、前示のような被告人甲野の供述を排斥するに足りる証拠価値を有せず、同被告人の自白は、同被告人の供述にあるような、警察官らの暴行・脅迫により得られた疑いが強く、その任意性に疑いがあるといわなければならない。

2  被告人乙山の供述調書の任意性について

(1) 被告人乙山の取調べ状況に関する供述の要旨は、「逮捕後一、二日は恐喝の犯意を否認したが、通してもらえなかつた。検察庁から帰つてきてからは、取調べ官がDとC及びもう一人の若い警察官の三人になつた。Dらには、耳元で大きな声でがんがん怒鳴られたり、後ろから腕を回されて首を締めるようにされて、息ができない位になつた。椅子に正座させられたことも一日で二、三回あり、私は体重が八七キロもあるのでつらかつた。また、私の事務所から持ち出した書類が山積みにされていて、『関係者を片端から調べると一〇年でも二〇年でもかかる』といわれた。」というものであつて、同被告人の供述自体によつても、その取調べ状況は、被告人甲野の供述に現れた取調べ状況ほど苛酷なものではない。しかし、取調べ状況に関する被告人乙山の供述が真実であるとすれば、Dらによる同被告人の取調べ方法は、自白調書の任意性に疑いを生じさせるに足りるものといわなければならない。

(2) これに対し、当審証人D、Cの両名は、被告人甲野に対する取調べに関してとほぼ同様、被告人乙山の供述するような不当な取調べ方法はなかつたとしている。しかし、被告人甲野の取調べ状況に関するD、Cの各供述の信用性に、前示のとおり重大な疑問を生じていること等に照らすと、右両名の供述のみによつて、取調べ状況に関する被告人乙山の供述を排斥することはできないというべきであり、同被告人の自白調書も、その任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定されなければならない。

3  被告人両名の原審公判廷における各供述の任意性について

所論は、被告人両名の原審公判廷における各供述も、警察における不当な取調べの影響によるもので、任意性を欠くと主張する。しかし、記録によれば、被告人両名は、昭和六一年九月一二日に、前示各代用監獄から大阪拘置所へ移監され、また、同年一二月二日には、いずれも保釈により釈放されたこと、しかるに、被告人両名は、大阪拘置所への移監後も、また、保釈による釈放後も、弁護人の在廷する法廷で、一貫して各公訴事実を認める陳述及び供述をしていることが認められ、右各被告人らの供述等のうち、少くとも大阪拘置所への移監後のものは、警察における不当な取調べの影響を遮断された状況におけるものと認められ、他に、右各供述の任意性を疑わせる事情は存しない。

4  結論

以上のとおりであるから、被告人両名の捜査官に対する各自白調書は、その任意性に疑いがあつて、証拠能力を否定すべきであり、これを証拠に挙示した原判決には、訴訟手続の法令違反があるが、両名の原審公判廷における各供述の少なくとも大部分は、その任意性に疑いはなく、右各供述を含む原判決挙示のその余の証拠(とくに各被害者らの捜査官に対する各供述調書)を総合すれば、原判示各事実を優に肯認することができるから、右訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。論旨は、結局、理由なきに帰する。

二弁護人森岡一郎の控訴趣意及び弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中量刑不当の論旨について

各論旨は、いずれも原判決の量刑不当を主張し、被告人両名に対しては、いずれも刑の執行を猶予されたい、というのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、原判決も説示するとおり、全日本同和会大阪府連合会○○支部長の地位にあつた被告人甲野及び同副支部長の地位にあつた被告人乙山の両名が、同支部に属する原判示各共犯者らと共謀の上、約八か月の間、前後五回にわたり、建築基準法に違反した建築をしている建築会社の経営者等に対し、原判決のような言辞により暗に金員を要求し、右要求に応じなければ、右会社の業務又は経営者の地位・名誉等にいかなる危害を加えるかもしれないような気勢を示して、同人らを畏怖させ、四名から合計四二〇万円を喝取したが、一名については喝取の目的を遂げなかつたという事案であつて、右各犯行の手口が組織的・計画的、かつ、執ようであること、動機に酌むべき点がなく喝取金額も相当高額に達すること、被告人両名が本件各犯行において、いずれも重要な役割を果たしていることなどは、原判決が説示するとおりであると認められ、これらの点からすると、被告人両名にさしたる前科がないこと(被告人甲野は、昭和四五年二月言渡しの窃盗罪による懲役一年、執行猶予二年の前科のほか、同年三月の道路交通法違反罪の罰金前科一犯を、同乙山は、昭和五八年一一月及び一二月の屋外広告物条例違反罪及び名誉毀損罪の各罰金前科一犯を、それぞれ有するだけである。)、本件の財産的被害の大部分(原判示第二の犯行による四〇万円を除く合計三八〇万円)が、原審段階において回復されており、その余の被害者に対しても、被害弁償がなされる予定であつたこと等原判決説示の情状をもつてしては、たやすくその刑の執行を猶予すべきではないと考えられ、原判決が、被告人両名の「社会的責任を厳しく問う意味」から、両名に対し各懲役二年四月の実刑をもつてのぞんだのも、もとより理解できないわけではない。

しかしながら、更に検討するのに、本件については、被告人らのため酌むべき次のような情状も存在すると認められるのに、原判決は、これらの情状については、必ずしも十分に、又は全く考慮を払つていないことが、その判文及び原審における審理の経過に照らし、明らかである。すなわち、

1  本件各被害の拡大等については、被害者側の態度も原因を与えていること

本件一連の犯行は、いずれも、もともと、被害者側が、建築基準法違反等の、表沙汰にされては困る弱味を有しており、この点を、被告人らにつけ込まれたものである。このように、人の弱味につけ込んだ被告人らの犯行の手口は、確かに卑劣でたやすく許し難いけれども、他方、被害者側に、他人をつけ込まれる弱味があつたことが、被告人らの犯行を容易にしたことはこれを否定し難く、右のような意味において、本件は、何ら落度のない被害者に因縁をつけて金員を喝取した事案とは、いささか犯情を異にするといわなければならない。次に、現実の被害に遭つたのちの被害者らの態度にも問題がある。たとえば、原判示第四の事実の被害者(△△△△)は、被告人らに脅迫されても、これに屈することなく被害を警察へ訴え出たため、現に金員の喝取を免れ、程なく被告人らを逮捕へ追い込むことができたのであつて、もし、その余の被害者らにおいて、右△△と同様断固たる態度をもつてのぞんでいれば、被告人らをして、かくも易々と同種犯行をくり返させることはなかつた筈である。そのような意味において、本件の被害の拡大については、自己らの違法を白日のもとにさらされることを恐れる余り、被告人らに対し、あいまいな態度を取つて、たやすく乗せられた被害者側の態度も、原因を与えているといわざるを得ない。

2  本件の大部分は、被害者側において、警察へ被害を申告する意思のないものであつたこと

右1の指摘と関連するが、本件各被害者らは、一名(前記△△△)を除き、被害に遭つた時点において、これを警察に申告しておらず、警察による余罪捜査により被害が明らかになつた結果、その時点で被害届を提出したものである。しかも、右被害者らが被害を警察へ申告しなかつたのは、被告人らに対しある程度の金員を支払つても、これを会計上適宜の処理をすれば、企業としてはさしたる痛痒を感じないところから、被告人らの処罰を求めて自らの違法を白日のもとにさらす結果となるよりは、むしろ被告人らの要求に応じた方が得策であるとの判断によると考えられるのであつて、もし△△の行動がなかつたとすれば、その余の事実は、結局、企業と社会との係わりの中で生じ勝ちなささいなあつれきの一つとして、埋没していつたものと考えられる。現に行われた犯罪を、このような形で埋没させることの当否は別として、本件各犯行の右のような特殊性は、このような事情の存しない場合に比し、量刑上それ相応の配慮を要すると考えられよう。

3  本件の捜査・公判の過程において、被告人らが精神的・肉体的に相当の苦痛を味わつており、反省の情も顕著であること

被告人両名は、昭和六一年六月二三日、原判示第四の事実により逮捕され、引続き勾留されて以来、同年一二月二日保釈により釈放されるまで、半年に近い長期間身柄の拘束を受け、その間、接見禁止の状態で、くり返し厳しい取調べを受けたばかりでなく、前示のとおり、右取調べにあたり、被告人らが、本来被疑者として受けるいわれのない不当な取扱いを受けた疑いが強く、その結果、被告人らが受けた精神的重圧と肉体的苦痛は、相当強烈なものであつたと考えられる。そして、被告人らは、このような経験を通じ、自らの行為を真剣に反省し、原審においては、捜査段階で受けた不当な取扱いについて一言も言及することなく、ひたすら恭順の意を表していたのである。右のような被告人らの態度は、もちろん、執行猶予の寛大な判決を期待していることではあるが、被告人らが、前示のような不当な取扱いを受けたのが事実であるとすれば、これに緘として口をとざしたまま、公判廷において、ひたすら恭順の意を表すことは、かなりの忍耐を要することに違いはなく、そのことは、被告人らの改悛の情がそれだけ強いことを示すものというべきであり、また、被告人らが、一連の刑事手続の中で、本来受けるいわれのない不当な取扱いを受け、精神的・肉体的に重大な苦痛を受けた疑いがあるとすれば、そのこと自体もまた、量刑上無視することのできない一個の情状として、量刑にある程度反映させざるを得ないと考えられる。

そして、以上の諸点を、原判決が考慮に容れた前示のような被告人に有利な情状と併せ考察すれば、被告人両名に対しては、その刑責が甚だ重大であることは明らかであるにしても、いまただちに懲役刑の実刑をもつてのぞむのはいささか酷に失し、むしろ、今回に限りその刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。そうすると、被告人両名をいずれも懲役二年四月の実刑に処した原判決は、刑の執行を猶予しなかつた点において、その量刑重きに失し、破棄を免れない。論旨は、理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決中被告人両名に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に則り、当審において直ちに、次のとおり自判する。

原判決が認定した各事実に、原判決摘示の各法条のほか、刑の執行猶予につきいずれも刑法二五条一項前段を適用して(なお、刑期については、原審が被告人両名に対し実刑を科する関係上、刑期を大幅に短縮しており、両名の刑の執行を猶予する場合には、原審において執行猶予付きの刑が確定している他の共犯者の刑との権衡を考慮せざるを得ないこと、更には、当審において、原審段階において未了であつた被害金四〇万円の弁償がなされたことなどの点にも配慮して、これを定めた。)、

主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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